こまどブログ

技術のこととか仕事のこととか。

Kent Beckの「偉大な習慣を身につけたプログラマ」について

Martin Fowlerの『リファクタリング』で紹介されているKent Beckの言葉として以下のようなものがある。

僕は、偉大なプログラマなんかじゃない。偉大な習慣を身につけたプログラマなんだ。

この言葉について少し調べてみたところ、思うところ/学ぶところがあった。

身につけることのできる「偉大」

この引用句、原文(わざわざ手に入れることはしなかったので、孫引きにはなる)においては、以下のようになっているらしい。

I'm not a great programmer; I'm just a good programmer with great habits.

Kent Beck - Wikiquote

この言葉の最大のポイントは、"great"という形容詞で(自らを示す)プログラマを修飾するのではなく、(自らが身につけた)習慣を修飾するように「ずらし」ているところだろう。「偉大なのは自分ではなく、習慣なのだ」ということが表現上の力点になる。

その「ずらし」の効果は、「偉大な習慣を身につけたら、あなたも私のようになれますよ」というメッセージを伝えることだと思われる。少なくとも、Martin Fowlerがこの言葉を引用することによって狙っているのは、「リファクタリング」という偉大な習慣を身につけるべきだという書籍の立場の説得力を増すことであるだろう。

邦訳で欠落した"good"という修飾語

しかし、気になることがある。それは、原文にある"good"だ。"programmer"を修飾しているこの語句のニュアンスは、邦訳では欠落している。

このことを知ったときの最初の反応が下記のツイート。「なんだよ結局いいプログラマなんじゃん」という思いで投稿した記憶がある。

あらかじめ断っておきたいのは、翻訳を非難する意図はないということ。むしろ、翻訳としてはこの"good"のニュアンスを切り落とすことは意義のある行為だったと思う。

おそらく邦訳者は、敢えて"good"のニュアンスを欠落させて翻訳しているのではないか。私見では、そのことによって、"great"の修飾対象の「ずらし」を鮮明にすることができている。原文通りに、

僕は、偉大なプログラマなんかじゃない。偉大な習慣を身につけた良いプログラマなんだ。

と訳してしまうと、僕の上のツイートのような反応を呼んでしまう。そしてそれは、引用者であるMartin Fowlerが期待する反応ではないし、『リファクタリング』という書籍の中の表現としてはノイズになる。だからこそ"good"のニュアンスは落とす必要があったのではないか。

なぜ、Kent Beckは、わざわざ"good programmer"と言ったのか。これはよくわからない。一つ言えるとすれば、Kent Beckが単なるプログラマでなく、間違いなく"good programmer"であるということだろう。

究極の習慣としての「省察

この言葉について調べてみると、下記のようなQ&Aサイトの質問に行き当たった。

Kent Beck: You have been quoted saying "you are not a great programmer", but rather a "good programmer with great habits" What are these great habits?

Kent Beck: You have been quoted saying 'you are not a great programmer', but rather a 'good programmer with great habits' What are these great habits? - Quora

質問者がKent Beckに「ここでいう偉大な習慣(※複数形)とはなんですか?」と質問したのに対して、Kent Beckは以下のように答えている。

省察*1が究極の習慣です。「直近の1時間はどうだっただろう?もっと上手くできたことは何だろうか?次に試したいことは何だろうか?」内省が、他の全ての習慣へと繋がります。

省察というのは、我が身をふりかえってよく考えることだ。Kent Beckは、この省察が、他の全ての習慣を導くといっている。「自分は適切な習慣にしたがっているだろうか」という省察が、他の習慣の持続を裏付ける。あるいは、「もっと上手くやるためにどのような習慣に従えばいいのだろうか」という省察が、他の習慣の獲得に繋がる。そういうことだろう。

「他の習慣」の例としては、回答の最後で提示されている3つの習慣がある。その3つとは、「他人のためにコードを書く」、「スモールステップで仕事をする」、「よく休息をとる」だ。彼の書籍は、基本的にこの3つの習慣について書いているのだという。

ちなみに、『エクストリームプログラミング』でも、"Reflection"(訳書では「ふりかえり」)についての一項目が設けられている。冒頭を引用する。

優れたチームは単に仕事をしているだけではない。どうやって仕事をしているのか、なぜ仕事をしているのかを考えている。なぜ成功したのか、なぜ失敗したのかを分析している。自分たちのミスを隠そうとはしない。それを明らかにして、そこから学ぼうとするのである。偶然に優秀になれる人などいないのだ。
  『エクストリームプログラミング』27頁

ここでは、「学び」という側面が強く押し出されている。「習慣」について言及があるわけではないが、学習の結果の行動の積み重ねが習慣であるということで、「内省→習慣」の間を埋めるものとして読むことができるだろう。

結:習慣をめぐる戦い

技術書典5で頒布された「セイチョウジャーニー」(Growthfactionさん)に、1頁分だけ寄稿させていただいた。そこで、「自分にとって成長とは何か」として、下記のように書いた。

悪い習慣を捨てて、良い習慣を身に付けること。そして、身に付けた良い習慣をより優れた習慣にすることです。

growthfaction.booth.pm

悪い習慣は簡単に身についてしまう。成長は自然に起こるものではなくて、むしろ人生は「成長の反対」に満ちている。僕にとって、人生とは習慣をめぐる戦いだとも言えるかもしれない。

省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考

省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考

エクストリームプログラミング

エクストリームプログラミング

*1:原文は"reflection"となっている。「反省」とするのはネガティブな印象を与えるし、「内省」というと対象が内面・心の動きに限られてしまうので、「省察」とした。

僕の話がなぜ「通じない」のか

この半年で読んだ本の中に、強烈に「刺さった」本があった。山田ズーニーの『あなたの話はなぜ「通じない」のか』だ。

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』との出会い

知っている人からすれば当然知っているベストセラー書籍だったようだが、僕がこの書籍を知ったのはomoiyari.fmの第2回で三浦さんが「最近読み直した本」として言及していたからだ。

lean-agile.fm

また、これもポッドキャストになるが、engineer meeting podcast の過去回でも触れられていた。ちなみに、この回は「新卒におすすめする本」と題して2年前に公開された回だが、ブームが起こる前だった『君たちはどう生きるか』もおすすめ本として挙げられている。

soundcloud.com

「伝わらない」という悩み

この半年の自分の悩みを端的に表すならば、それは「伝わらない」だろう。組織の在り方やプロジェクトの進め方について、上司や周囲に対して何かと問題提起や提案をしてきたが、受け入れられることはほぼなかった。それも、ぐうの音も出ない反論を受けるのではなく、主張の内容が理解されているのかを疑問に思うようなリアクションを取られることが多かった。受け入れられるかどうか以前に、伝わっていなかった。

自分の言いたいことというのは、単なる事実の指摘ではなくて、「思い」に基づいた主張だった。同じ方向を向いてほしい、共感してもらいたいと思ってする主張だ。「伝わらないなら、ま、いっか」と思えるものではない。それが伝わらないというのは、もどかしい体験になる。だからこそ、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』の下記の一文は、「伝わらなさ」に疲れている僕を大いに慰めるものだった。

内面で関われないとき、人は傷つく。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』27頁

この文が、どれだけの人に響くものなのかはわからない。しかし僕にとっては、「この本についていこう」と思わせるものだった。この書籍には、随所に僕にとっては耳が痛い記述が含まれているのだが、冒頭でがっちり掴まれているので素直に読み進めることができた。このあたりがベストセラーたる所以だと思う。下のツイートはこの書籍、この一文を念頭においてなされたものだ。

この書籍で語られているのは、「伝わらない」を乗り越えるための技術だ。それも、相手を思う通りに動かすためのテクニックではなく、相手と内面で通じ合うための技術だ。「自分を偽りたくない」という思いを僕も持っているから、ぜひともこの技術を身に付けたいと思った。

「伝わらない」と傷つくとき、あなたに必要なのは、妥協なんかでは決してない。まるくなる、というのとも違う。人間操作のあるパターンを憶え込む、というのとも全然違う。必要なのは、ちょっとした技術だ。自分の言いたいことをはっきりさせる思考法、それを、相手に伝えるための表現技術。技術を磨けば、自分を偽らなくても何とかやっていける。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』30頁

以下では、この書籍で特に「刺さった」3つの部分を紹介し、それがどう「刺さった」のかを書いていきたい。

決める億劫さやリスクを引き受ける

1つ目の「刺さった」点は、「決める億劫さやリスクを引き受ける」という話だ。

僕は、伝わらないで苦しんでいるとき、「当たっている反論してくれればなぁ」と思っていた。もとより、経験の浅い自分の意見が絶対に正しいとは思っていないし、反論を受けることで自分が知らなかった、見逃していたことに気づくことができると考えていた。主張をするときも、通しにいくというよりもフィードバックを得るためという意図の方が大きかった。

しかし、このような態度が良くなかったのだと今は思う。「フィードバックが得られればよし」というような態度ではダメで、本気で自分の主張を通しにいかないといけないのだ。それは仮説を持たない実験が意味をもたないのと同じだ。

うまくできているもので、リスクを負って決めるからこそ、自分の判断が正しいか考え抜き、周到に根拠を用意し、他者を説得しようと努力するようになる。自分なりの「決め」を打ち出す習慣をつければ、自ずと論理力はついてくるのだ。まずは、「ああもいい、こうもいい」から脱却し、「自分はこう考える」を打ち出すことから始めよう。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』97頁

本気で通しにいく主張なら論拠をしっかり集めるし、伝え方にも気を配る。その努力が、自分には欠けていたのだと思った。たびたび指摘される「話の長さ」も、「決め」の欠如と関連していると思うと、ぞっとした。

30秒で意味のある話をするためには、決めて、決めて、決めたおさないといけない。論理的に話すコツは、要するに「決め」だ。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』90頁

色々と主張をしながらも、背後では「間違いたくない」という意識が働いていたのだと思う。強く主張しないのも、主張に何かと留保を付けるのも、同じところから出ているのでは、と反省させられた。

正論と目線の高さ

2つ目は、正論と目線の高さの話だ。

僕が会社でしている主張は、ほとんどが書籍や勉強会で得た知識に基づいている。もちろん、文脈を無視して持ち込むような愚を進んで犯すつもりはないから、会社の事情を(わかる範囲で)踏まえて主張するように心がけているが、問題はそこではなかったと思う。

本や人の話から知識を付ければ付けるほど、僕の中で僕の主張は「正論」になっていく。そしてそれは相手にも伝わり、コミュニケーションを阻害することになるのだ。『あなたの話はなぜ「通じない」のか』では、この事態を「目線」という言葉を使って表現している。

正論を拒むのは、人間の本能かもしれないと私は思うようになった。正論は強い、正論には反論できない、正論は人を支配し、傷つける。人に何か正しいことを教えようとするなら、「どういう関係性の中で言うか?」を考えぬくことだ。それは、正論を言うとき、自分の目線は、必ず相手より高くなっているからだ。教えようとする人間を、好きにはなれない。相手の目線が自分より高いからだ。そこから見下ろされるからだ。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』140頁

先にも述べた通り、僕は僕の主張に反論がなされることを期待してはいる。しかしながら同時に、ある程度は合理的な主張だと思ってもいる。そしてそれが態度に表れているのであろうか、主張の仕方が「堂々としている」とよく言われる。ぺーぺーの身でありながら組織論やマネジメントの領域に物申しているというだけでも「可愛くない」のに、主張の仕方まで自信ありげだとすれば、相手が「見下ろされる」気持ちになるのも無理はない。次の一節を含めて、この「目線の高さ」に関わる部分はグサグサと胸に突き刺さった。

何かを批判していると、饒舌になる人が多い。そして、饒舌になるにしたがって、目線が高くなっていくように感じる。自分の身の丈を越えたもの言いは、逆に、自分というメディアのサイズを小さく見せる。自分以上の目線から話す人物を、周囲は、「自分の経験や力量さえわきまえられない人」、と思う。だから、その人が言っている内容さえ、どこかうそくさいと感じてしまうのだ。共感の橋を架けたいなら、目線が肝心だ。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』178頁

僕は多分、「正論を言う」「目線が高い」やつになりがちだなのだと思う。それを自覚して、コントロールしていく、配慮していくことが、必要になるだろう。「言いたいことを言わない」というのではなく、言い方の水準で直していきたいと思っている。

「自分の枠組み」と「外」

最後に、エピローグから、「自分の枠組み」と「外」についての記述を紹介したい。

エピローグにふさわしく、読者を勇気付けるような部分だ。「通じない痛み」を感じている人は、(身近な流行り言葉でいえば)「越境」している人なのだという。それは、「自分の枠組み」が通じない人とも通じ合おうとしているからこそ生ずる苦しみが「通じなさ」だからだ。そしてそこで経験する意思疎通の苦難は、自分をぐらつかせるものなのだ、と。

今から思えば、そのときの私は、本当の意味で「外」を知らなかった。「自分」という城壁をぐるりとはりめぐらせ、その中で考えた「理想」に向け、その中で考えた「最善」を尽くしているに過ぎなかった。外と交流しているようでいて、実は、自分の枠の中で「わかる」「よい」ものだけを取り込み、自分の枠の中の言葉で通じる人とだけ交わっていた。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』240頁

著者自身の体験が前面に出ているこの記述は、ハッとさせられるものだった。僕には勉強会などを通じてできた社外の友人がたくさんいる。これは、自分の会社を「内」とするのであれば、「外」を知っているということになるのだろう。しかし、社内で「通じない」経験をしているとすれば、それは文化や考え方において自分は「内」に留まっているとも言えるのではないか。上の記述に接したときに脳裏をよぎったのは、このような疑念だった。

僕はこの半年で、「通じない痛み」をいくらか味わった。全然言いたいことを理解してもらえないもどかしさも感じたし、上司から厳しいフィードバックを貰って落ち込んだこともあった。「外ではこうなのに、内は・・・」と思っていた。しかし、僕にとっては会社が「外」で、社外の関わりが「内」だったのだ。

終わりに

外の世界は、自分の都合や価値観とはまったく無縁に生き動いている。私は、外に、ただただ無防備に自分をさらし、そして打たれた。それでも、崩れ落ちる自尊心をまっすぐ歩いていき、小さな自分の枠組みが解体しきったとき、見えてきたのは、なんと、「自分」だった。
  『あなたの話はなぜ「通じない」のか』242頁

今の僕は、「自分」の周りに堅い「自分の枠組み」を作っている。その「枠組み」は、内容的には正しいものかもしれないが、果たしてその「枠組み」を他人と共有することが、僕のゴールなのだろうか。本当にしたいのは、「自分」と他の人の「自分」が通じ合うことではないのか。そもそも、「自分」はどんなものなのだろうか。

外の世界に身をさらすことで、自分の枠組みはぐらつき、解体される。それは苦しみを伴うことだが、もし、そこで初めて見えてくる「自分」がある。この半年間、特に直近の1ヶ月で、少なからず「自分の枠組み」は揺らいだ。その内側にある「自分」を認識し、豊かにし、人に伝えることが、これからの課題なのかもしれない。

「悪いヤツほど出世する」世界と、「良いヤツが出世する」世界(への願望)

僕にはどうやら、「立派な人でありたい」という欲求があるらしい。

以前に書いた下の記事で、自分の価値観を考えた。そこでは、「高潔さ・誠実さ(正直さ、誠心誠意、真実一路)」というものが一番上に来ていた*1。成功するよりも、立派な人でありたいと望んでいる(あるいは少なくとも、「立派な人でありたいと望んでいる自分でありたいと望んでいる」)、ということになっている。

ky-yk-d.hatenablog.com

自分がどういう人間かは多少なりともわかっているので、ことさらに善人面するつもりはないのだが、とりあえずそういう結果が出たことは事実である。今回の記事は、その上で試みに行った思索の産物である、ということを予めご理解いただきたい。

『悪いヤツほど出世する』を読んで

さて、以上のような結果が出てしまうような自分の傾向について、考えさせられる読書体験をした。前回のブログで紹介した、『なぜ、わかっていても実行できないのか』の著者の一人であるジェフリー・フェファーの、『悪いヤツほど出世する』だ。

ky-yk-d.hatenablog.com

悪いヤツほど出世する (日経ビジネス人文庫)

悪いヤツほど出世する (日経ビジネス人文庫)

『悪いヤツほど出世する』(原題は「Leadership BS: Fixing Workplaces and Careers One Truth at a Time」)はどんなことを語っているのか。ざっくりと要約すれば以下の通りだ。

アメリカで隆盛を極めているリーダーシップ教育産業では、謙虚、自分らしさ、誠実、信頼、思いやりといった特質が称揚される。しかし、実際の職場にはそれらを体現するリーダーは少なく、キャリア上の成功を勝ち取っているリーダーには、ナルシシズムや自己本位、嘘つきといった特質の方がむしろ多く観察される。願望で目を曇らせることなく、後者のような特質が現実において有用であることを認めることが、リーダーシップの危機との対決には不可欠である。

フェファーが以上の主張の根拠としているのは、アメリカにおける社会科学的な調査研究であり、日本に直接に適用できないものを含んでいる。その点について、フェファーは自覚的であり、下記のように日本とアメリカの文化の違いにも言及している。

日本は社員に対する文化的な規範がアメリカとは異なっており、リーダーには名誉あるふるまいが求められる。
  ー『悪いヤツほど出世する』(文庫版219頁)

とはいえ、リーダーシップ教育産業のあり方にしても、実際の職場にしても、フェファーの議論は日本でサラリーマンをしている自分にも説得的に響くものだった。

公正世界仮説の罠

フェファーが攻撃の対象としている「リーダーシップ教育産業」では、英雄的なリーダーのサクセスストーリーが提示される。そこでは、上述の通り、

  • 謙虚
  • 自分らしさ
  • 誠実
  • 信頼
  • 思いやり

といった特質が称揚される。これらの特質は、通常「いい人」あるいは「立派な人」が持っているとされるものである。サクセスストーリーは語り手の自己欺瞞によって当人の自覚すらなしに事実とは異なっている場合がある。しかしながら、受け手は根拠を問わずに受け入れようとしてしまう、とフェファーは指摘する。

こうした認知バイアスの存在が学問的にも確かめられているにもかかわらず、私たちはリーダーシップ神話を受け入れやすい。それどころか、すっかり信じ込んでまねようとする。というのもこの種の神話の筋書きは、「世の中はうまくできている」と考えたがる私たちの傾向にまさに応えてくれるものだからだ。「世界は公正であり、善は報われ悪は罰される」という世界観のことを「公正世界仮説」という。この誤謬に囚われると、「成功した人には成功するだけの理由があるのだ」ということになる。だからサクセスストーリーは無条件に支持される。そもそも私たちは信じたがっているのだし、希望を求めているのだ。事実を確かめようなどと考える人はめったにいない。
  ー『悪いヤツほど出世する』(文庫版65頁)

この心理には、僕も心当たりがある。僕は、マネジメントやチーム・ビルディングなど、人的(『ピープルウエア』の言い方では「社会学的」)な側面を扱う分野への関心が強く、よくその分野の書籍を読んだり勉強会で人の話を聴いたりしている。そして、なんとなくいい気分になる

「いい気分」の正体

こういったときの「いい気分」は、単純に新しい技術を学んだときの「いい気分」以上の何かがあると、常々思ってきた。今回考えたのは、その「いい気分」が、「立派な人であることによって上手くいく」という命題を支持する材料をもらえたことによる心地よさなのではないか、ということだ。その命題は、「自分がそうであってほしいと思う世界のあり方」に沿うものだからだ*2

例えば、「心理的安全性」が大事だという話を聴く。心理的安全性のあるチーム・組織では、各人は「人を意味なく萎縮させるような言動」を行わない。「人を意味なく萎縮させるような言動」を行わないのは、立派な人だと思う。逆に、「人を意味なく萎縮させるような言動」を行うような人はどうかと思う。否定的な評価を下すことになる*3。したがって、「心理的安全性が必要です」という話は、「立派な人であることが必要です」という僕にとっての「公正世界」に対する信念を補強するものになる。だから気持ちよく聴くことができる。

「立派な人」であることによる見返りへの期待

公正世界仮説」を巡っては、Wikipediaを見る限りでも、様々議論があるようだ。僕は心理学の徒ではないので、「人間は」と大上段に構えることは慎み、自分個人に対象を限って考えを進めてみる。自分が上に掲げたような信念を持つのは、「立派な人でありたい」という自分の意志が挫けてしまわないようにしたいからだと思う。

「立派な人」でいるのは厳しいことだ。だからこそ、僕は「立派な人でありたい」と思いながらも実際において「立派」でない言動をとってしまっている。他の様々な欲求に対して、「立派な人でありたい」という欲求を劣後させているわけだ。この葛藤状態を解消するためには、「立派な人である」ことによって他の欲求も充足されるような世界であれば都合が良い。「立派な人であることが、チームの生産性を高めます」というのは実に都合が良いというわけだ。

リーダーシップに関する本も講演もプログラムも、受け手が望むものを潤沢に与えている。知見ではなく激励を、教育ではなく楽しみを、そして絶望ではなく希望を。
  ー『悪いヤツほど出世する」(文庫版60頁)

「立派な人」は趣味である

しかし、本当に立派な人は、「立派な人である」ことに満足のできる人だ。外的な何かが得られるから立派な人であろうとするのではない。そもそも「立派な人でありたい」と思うのは、「立派な人であること」自体が快楽をもたらしてくれるからだ。「立派な振る舞い」をしたときに、物質的な見返りや誰かの感謝が得られなくても、それだけで清々しい気持ちになる。日々の生活がそのような体験に満ちていれば、どれだけ幸せだろうか、と思う。

「立派な人である」ということは、自分の良心の声に耳を傾けて生きることだと思う。「良心」というのは以前から気になっていた概念なのだが、先日、芥川龍之介箴言集を読んでいて接した以下の言葉は大きな示唆があった。

良心とは厳粛なる趣味である。
  ー芥川龍之介侏儒の言葉西方の人』(新潮文庫版13頁)

「立派な人であること」、「良心に従うこと」は、自分に幸せをもたらすものだ。それは、ある人にとっての「旅行をすること」、他の人にとっての「将棋を指すこと」と同じようなものなのではないか。つまり趣味である。「厳粛な趣味」とはよく言ったものだと感心してしまった。

趣味を仕事に結びつけること

そうだとすれば、「立派な人であることによって仕事でも成功したい」というのが、「好きなことで食っていきたい」というのとあまり変わらない、図々しい望みなのではないか、ということにもなってくる。趣味は必ずしも仕事に結びつくわけではない、というのが厳然たる事実だ。願望で捻じ曲げてはいけない。

しかしながら、「趣味は絶対に仕事に結びつかない」わけでも、「趣味を仕事に結びつけようとしてはいけない」わけでもない。プログラミングを愛してやまない人がプログラマとして身を立てることもある。野球少年がプロ野球選手になることもある。良心という趣味が仕事に結びつくことだってあり得るだろうし*4、仕事に結びつけようとする努力は誰にも否定できない*5

ただし、趣味を仕事にすることは厳しさを伴う場合もある、というのは忘れずにおきたい。元プロ野球選手の宮本慎也が引退した時に語った「プロになってから野球を楽しんだことは1度もない」という話が強烈に印象に残っている。

number.bunshun.jp

フェファーのメッセージ

邦題からは「出世したけりゃ悪いヤツになれ」という方向にも捉えられそうなこの書籍だが、フェファーは必ずしもそういうことは言っていない。もちろん、「それでも良いヤツでいろ」とも言っていない。フェファーが主張しているのは、「真実を知ることから始めよう」ということだけだ。

リーダーシップの危機に何か改善をもたらすことができるか、私には自信がない。ただし、人間の行動に関する社会科学の知見にも現実のデータにも基づかないやり方でこれ以上リーダーシップ神話を振りまき、人々をいい気分にさせるだけではうまくいかないことは、はっきりしている。人は真実に耐えられるはずだ。真実と早く向き合うほど、誰にとっても結果はよりよいものになる。そのためには誰もが、そう、リーダーだけでなくすべての人が、がんばって続けなければならない。
  『悪いヤツほど出世する』(文庫版302頁)

上では滔々と「それでも僕は良いヤツでいたい」と語ってみたが、あくまで思索でしかない。これからどう生きていくのかは、まだまだ決めかねている。簡単に答えが出るようなものではなく、一生探り続けていくものなのだと思う。これからどのような生き方をしていくにせよ、願望で現実を歪めるようなことだけはしないでおきたい。

ピープルウエア 第3版

ピープルウエア 第3版

侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

良心論―その哲学的試み

良心論―その哲学的試み

*1:これが自分が「立派な人」であるということを必ずしも意味しないということは、記事に書いた通りである。

*2:「立派な人」というのは、さしあたり個人の主観である。客観的に善悪が存在するのかどうか、その基準でここでいう「立派な人」が善なのか、という議論には今回は踏み込まないでおく。「僕が立派だと思うような人が成功する世界であってほしい」と言い換えた方が適切かもしれない。

*3:現在の自分はもしかしたら後者かもしれないけれど、前者でありたいと思っているのは本当だ。

*4:その例がサクセスストーリーになる。

*5:日本の就活業界では「やりがい」という言葉が定番だし、生産性ということを考えても、高いモチベーションを持てるような仕事に取り組むことは有利なはずだ。

『なぜ、わかっていても実行できないのか』を読んだ

ジェフリー・フェファーとロバート・I・サットンの『なぜ、わかっていても実行できないのか』を読んだ。これも以前のメモの微修正だけど、メモを読み返しているともう一回読んでもいいかなと思った。

なぜ、わかっていても実行できないのか 知識を行動に変えるマネジメント

なぜ、わかっていても実行できないのか 知識を行動に変えるマネジメント

 

 

原題は"The Knowing-Doing Gap"ということで、知識が行動に結びつかないということに対してメスを入れている本。原因としては、

  1. 問題を話し合っただけで仕事をした気になる
  2. 過去のやり方にこだわりつづける
  3. 部下を動かすために恐怖をあおる
  4. 重要でないことばかり評価している
  5. 業績を上げるために競争させる

の5つに分けて議論されている。

 

発言の多さとリーダーシップ

発言の多い人ほど影響力が強く、ステータスが高く、リーダーにふさわしいと思われている。男性マネジャー諸氏を押しのけて部長に抜擢された女性に、その理由をたずねたことがある。冗談めかして彼女はいった。「私がおしゃべりで、ほかの人にしゃべらせないからでしょう」。はからずも、この言葉はグループ・ダイナミクスの原理を表している。発言が多いことと、相手の発言をさえぎることが、グループの人間関係に大きく影響する。(55)

自分が多弁な方なので、非常に納得がいく。見る目のある人は発言の量で評価したりはしないだろうけれど、ぱっと見て発言が多い人は「バリュー出してる」ように見えがちだろう。リーダーシップとは別の文脈だが、会話が多い会が必ずしも盛り上がっている訳ではないというのも思う。

 

経験と行動

むやみに経験に頼る体質では、知識を行動に移せない。なんらかの変化を起こすのは不可能だ。記憶を頼りに、何も考えずに行動するからである。それが意味のある行動かどうか、疑問ももたない。たとえ疑問を感じても、反対の声を上げたり、別のやり方を提案したりする勇気はない。(78)

古いやり方に固執する組織というのはよく聞くが、ここで言われていることはそれとはまた別の、しかし納得のいくことだ。思いつきでしか新しい行動が生まれない組織というのはよくある。それが経験をきちんと消化することすらできていない場合の方が多そうだが。

 

恐怖によるマネジメント

逆境時に恐怖心を追放する方法

  • 予測……何がいつ起こるか、当事者にできるかぎり十分に知らせる。
  • 理解……なぜそういうひどい行動が必要か、詳しく説明する。
  • 自制……何をいつ、どのようにして起こすか。できるかぎり自分の力でコントロールさせる。自分の運命は自分で決定させる。
  • 思いやり……直面している混乱や苦しみ、金銭的な重荷などに、思いやりを示す。

(142)

部下を動かすために恐怖を用いるな、と説く章の末尾の記述。閉鎖することが決まった工場の閉鎖間際の業績が、通常想定されるように悪化しなかったケースの話は印象的。たとえ敗戦処理でも、前向きに仕事をさせることができれば全く違ってくる。

 

内製化

アウトソーシングやパートタイマー(賃金は低く、諸手当もいらない)を使って、経費を削減することの、何が問題なのか?まず、「重要なエレクトロニクス関連部品を外注する」と、「HPはもはや社内でフィードバックを行う機能を失ってしまう。フィードバックによって、生産力、品質、欠陥、コストなど、ハードウエアの設計について貴重な情報が得られたのだが」。設計と生産が分離するので、しだいにハードウエア設計の高い能力まで失うことになる。(151)

書籍の中の重点は、このあとに続く「雇用機会の確保より、コストや収益、効率などを優先するというメッセージが社内に伝わる」ことの害悪にあるが、内製化が叫ばれるソフトウェア業界の人間としては上記を引いておきたい。

 

個人の行動を評価すること

多くの企業が使っている評価システムには、暗黙の行動モデルがある。それは、人間を経済的な要因で動くばらばらの個体と考え、社会的な生物という面を無視している。評価が個人的に行われるのも、人を個別にとらえている証拠である。評価方法では、①個人の成績は個人の決断や行動の結果だとし、②決断や行動には個人のコントロールと判断力が働いていると考える。したがって、成績は個人のものとみなしている。(163)

本当に評価すべきものを見つけられず、仕方なく個人を評価している企業もあるかも、ということは考えてみてもいいのかもしれない。上記の引用が載っているのは「重要でないことばかり評価している」と題する章である(原題は不明だが)。

 

立ち入り検査

書類で査定することを、フィードバックだと勘違いしているリーダーが多い。「査定用紙に書き込むのは〈立ち入り検査〉であって、フィードバックではない」とケリー・アランはいう。……「立ち入り検査に頼ると、コストはかさむし、長期的には何も改善しない。組織の競争力は落ちるばかりだ。このことを私たちは歴史から学んできた」(171)

「○○は〈立ち入り検査〉であって、フィードバックではない」ってフレーズ強い。「品質管理の人間どもにぶつけ(ry」って人は多いのではないか。以前にも引用したが、ケント・ベックエクストリームプログラミングに、「エンジニア部門とは別に品質管理部門を設けても敵になるだけで品質は良くならない」という話が出ていたのは強烈に印象に残っている。

 

意識調査の意義

調査をするだけでは特別な価値はない。調査を行なっている会社は山ほどあるが、その結果は活かされていない。インテュイットの従業員と会社の価値観が、調査結果を活かしているのだ。けれども、会社の実践を評価する手段がなければ、総合的な文化や価値観は行動に結びつかない単なる善意に終わってしまう。価値観、文化、従業員の質などが知識や目的意識を培い、それを行動に移すのを意識調査が助けているのである。(174)

活かされる未来の見えない意識調査にうんざりしている社員のみなさんこんにちは。以前、自社でも意識調査をしようという話が持ち上がったけど、行動に移す体制が整えられそうにないなと思っていたら結局やっていない。メトリクスとるのも同じだと思う。

 

競争と組織文化

協調性を重んじる社風を真剣に守るために、ときには雇用ではなく解雇もしなければならない。才能はあっても、競争心が強すぎたり、この主張が強すぎたりして、会社の文化に合わない人には、辞めてもらうことだ。それには、断固たる決断や実行力が必要になる。(210)

この本は、投資銀行の競争文化に対してかなり批判的な態度。社内で競争をするとノウハウの伝達等に対する障害となるというような話で、外との競争については否定はしていないが、業界全体でパイを食い合うというのもあるわけで、競争というのはなかなかに扱いづらい。

 

まとめ

冒頭で氾濫するビジネス書について皮肉っていたのが面白かったが、この本で得た知識をどのように組織活動に活かしていくのかというとそれもまた難しい。アンチパターン集なので、「あ、うちの組織今ダメだ!」と認識することにまずは活かしていくべきものか。

Clean Coder を読んだ

Robert C. Martinの『Clean Coder』を読んだ。読んだのはだいぶ前。引用メモが残っていたので記事に。

 

Clean Coder プロフェッショナルプログラマへの道

Clean Coder プロフェッショナルプログラマへの道

 

 

実践し続ける、学び続ける

おおアーキテクトよ、コーディングをやめてしまうとはなにごとだ。すぐに自分たちが重要ではなくなったことに気づくだろう。おおプログラマよ、新しい言語を学ばないとはなさけない。いずれ自分が業界から取り残されるのを目の当たりにすることになるだろう。おお開発者よ、新しい規律や技法を学ばないとはふがいない。いつか同僚に置いていかれることになるだろう。(42)

これは訳者が工夫したのだろうか・・・。新しい言語を学ぶ、というのは『達人プログラマー』でもアツく推奨されていたが、仕事で使わないものを自力で学ぶのはモチベーション的にも機会的にも難しいなぁと感じている。あと、「学ばない人間を置いていく同僚」がいない環境は本当にダメ。

「ノー」と言う

プロは権力者にも真実を伝える。プロはマネージャに「ノー」と言う勇気を持っている。どうすれば上司に「ノー」と言えるのだろうか?なんたって上司だぞ!上司の命令には逆らえないんじゃないのか?それは違う。プロなら違うんだ。奴隷は「ノー」と言うことを許されていない。労働者は「ノー」と言うことをためらうだろう。だが、プロは「ノー」と言うことを期待されている。実際、優れたマネージャは「ノー」と言ってもらいたがっている。それ以外に何かを成し遂げる方法はない。(49)

「上司が余計な仕事を取って来やがる」という愚痴はしばしば耳にする。そこに「ノー」と言ってやるのがプロなのだ。しかし上司が「ノー」と言ってもらいたがる「優れたマネージャ」である保証はないのである。ダメなマネージャがのさばる会社からは、プロがいなくなっていくことになるのかもしれない。

「試しにやってみる」の甘え

試しにやってみるというのは、力を温存していたと認めることだ。試しにやってみるというのは、温存しておいた力を使えば目標が達成できると認めることだ。さらに言えば、温存していた力を使って目標を達成すると約束することだ。つまり、試しにやってみるというのは、成功を約束すると言うことなのだ。「試しに」やってみて、望ましい成果につながらなかったときは、失敗したということになる。(55)

この次の章(「イエス」と言う、ことについて議論されている)に寄稿されているロイ・オシュエラオブの「約束の言葉」(ロイ自身の『ELASTIC LEADERSHIP』で「コミットメント言語」として紹介されている)との関係で、上の記述を読んだ。原書あたっていないが、おそらくtry doing(できることを、実際にやってみる)なのだろう。日本人が「やってみます」というときのニュアンスは、try to do であることもあるような気もする。try doingの場合は、とにかく成果物を一度提出するから、そこで判断してください、という感じ。

早すぎる詳細化

ビジネスもプログラマも「早すぎる詳細化」の罠に陥りがちだ。ビジネスは、プロジェクトを承認する前に、これから手に入れるものを正確に知りたいと思う。開発者は、プロジェクトを見積もる前に、これから開発するものを正確に知りたいと思う。どちらもできるはずのないことを詳細化しようとして、コストを無駄にしているのだ。

詳細化されていたと思ったら、あとからコロコロ変わるんですよね。顧客の目があらかじめ入っていないときは特にそうなんだろう。ちなみに、不確実性ということについては、広木大地さんの『エンジニアリング組織論への招待』で、焦点を当てて論じられていた。意思決定を遅延させることによってコストを減らせないか?

緊急時に規律をやめてはいけない

緊急時になれば、自分が何を信じているのかがわかる。規律を守っていれば、その規律を本当に信じていると言うことだ。逆に言うと、緊急時に普段の行動を変えてしまえば、その行動を信じていないと言うことだ。平常時にTDDの規律を守り、緊急時にそれを守らないとすれば、TDDの効果を心から信じていないということだ。平常時にコードをクリーンに保ち、緊急時に乱雑にするのであれば、乱雑が速度を落とすことを信じていないのだ。平常時にペアを組まず、緊急時にペアを組むのであれば、ペアのほうが効率的だと信じているのだ。緊急時に安心して守れるような規律を選ぼう。そして、それを常に守ろう。規律を守ることが緊急時から逃れる最善の方法である。ピンチに陥っても行動を変えてはいけない。規律が最善の方法であれば、緊急時になっても守るべきである。(156)

この部分は実際のところどうなのか(『ELASTIC LEADERSHIP』のいう「サバイバルモード」「学習モード」「自己組織化モード」の分類とはどのような関係に立つか?)。とはいえ、ペアでやった方がミスが少ない、と考えて普段ペアプロやっている人が、障害対応で単独プログラミングしてバグを仕込む、とかは実際にありそうな話。

職人気質

我々は「職人気質」という言葉の意味を考える段階に来ている。これはどういう意味だろうか?その意味を理解するために、「職人」という言葉について考えてみたい。この言葉からは、熟練の技・品質・経験・能力などが思い浮かぶ。職人とは、急がずにすばやく仕事をして、適正な見積もりでコミットメントを果たす人のことだ。職人は、「ノー」と言う場面を知っているが、できるだけ「イエス」と言おうとする。職人は、プロである。

職人気質とは、職人の持つ考え方である。職人気質は、価値・規律・技術・態度・解答を運ぶミーム(情報遺伝子)である。

だが、職人はどのようにこのミームを身につけたのだろうか?どのようにすれば、このような考え方を手に入れることができるのだろうか?

職人気質のミームは人から人に伝えるものである。年長者から若者たちへと教え伝えられる。仲間同士で交換する。年長者が若者たちを観察するなかで再発見する。職人気質はウィルスのように精神に伝染するのだ。他者を観察してミームを手に入れることで、それを自分に根付かせることができる。

職人になれと誰かを説得することはできない。職人気質のミームを受け取れと説得することもできない。議論をしても効果はない。データは重要ではない。事例は無意味だ。ミームの受け入れは、論理的ではなく感情的なものである。非常に人間的なものなのだ。

職人気質のミームを身につけてもらうにはどうすればいいのだろうか?ミームは伝染することを思い出して欲しい。ただし、観察できなければいけない。つまり、ミーム見える化すればいいのだ。そのためには、自分がロールモデルとして振る舞えばいい。自分が職人となり、職人気質を見せてやるのだ。あとはミームがやってくれる。(179-180)

職人気質のミームがそもそも存在しない組織には、まず職人気質を身につけた人が必要なのかな、と思う。その最初の一人を得るためには、採用するか、外に一度出して感染させてから内に戻す、ということしかないだろう。

感想

みんな大好きボブおじさんの本。ジョークに満ちていて面白いし、やや過剰では・・・と思うくらいに要求が高くはあるものの、非常に重要なことが散りばめられている。この本を読んで「うるせえ」としか思えなくなったらプログラマとしては引退した方がいいのかもしれない。

XP祭り2018とその前夜祭(第2回enPiT-Proスマートエスイーセミナー)に参加した

9月8日(土)に早稲田大学で開催された「XP祭り2018」に参加した。Regional Scrum Gathering TokyoもAgile Japanも参加できなかったので、自分にとってはアジャイル関係で初めての大規模カンファレンスへの参加となった。

また、前日には同じ会場で「前夜祭」として「第2回enPiT-Proスマートエスイーセミナー: アジャイル品質保証と組織変革」も開催された。こちらにも参加した。

イベントの内容について細かく書くことはせず、面白かったことや印象に残ったことをいくつか書いておきたい。参加したセッション、ワークショップすべてに言及するわけではないということ、そしてそれは言及のないものに対する低評価を意味しないということを断っておく。

前夜祭:スマートエスイーセミナー

アジャイル品質保証と組織変革」というテーマに惹かれて参加した。「アジャイル」や「組織変革」が身近なキーワードであるのに対し、「品質保証」はどこかよそよそしい言葉である*1。これらが結び付くときにどういったことが語られるのかに興味があった。

品質保証とアジャイル

品質保証とアジャイルと組織変革というと、思い出す『エクストリームプログラミング』の一節がある。

品質部門を別に設置すれば、エンジニアリングにおける品質の重要性が、マーケティングや営業における品質と同等だというメッセージを送ることになる。エンジニアリングで品質に責任を持つ人がいなくなる。すべては他の誰かの責任だ。開発組織のなかにQA部門を設置したとしても、エンジニアリングと品質保証が別々の並行した活動であるというメッセージを送ることになる。品質とエンジニアリングを組織的に分離すれば、品質部門の仕事は建設的なものではなく、懲罰的なものとなってしまう。
ー『エクストリームプログラミング』128ページ

セミナーでは「品質部門を別に設けるな」ということが言われることはなかったが、上記のものと近い問題意識に基づく話が多くあったように感じた。永田さんが懇親会で仰っていた「QAは品質についての情報を開発チームに提供することで貢献する」というのもそうだし、Yoderさんの紹介していたパターンにも「障壁の解体」や「アジャイルプロセスへの品質の組み入れ」などといった話が出ていた。

Linda Rising さん

『Fearless Change」の著者であり、近頃よくそのモノマネを聴く機会があるLinda Rising さん。この日も、永田さんのお話の中に登場してきた。Agile Japan 2011の基調講演で来日された際に、永田さんが「QAとしてどう開発者チームに関わればよいか」と相談したところ、"Stealth"というキーワードをくれたと。開発者にとって見えにくい、邪魔にならない存在となり、まずは静かに観察することが大事だという話だったと記憶している。更に、2000年に出版された書籍のなかで既に「QAを早くから巻き込め」という趣旨のことを述べていたそうで、その先進性に永田さんは唸っていた。

The Pattern Almanac 2000 (Software Patterns Series)

The Pattern Almanac 2000 (Software Patterns Series)

XP祭り2018

t-wadaさんの基調講演

テスト駆動開発』の「付録C」は一度読んでいて、しかも2017年12月にt-wadaさんのお話を聴いたのは僕にとってはとても印象深い思い出となっているので、基調講演の内容はある程度は既知だった。しかしそれでも新たに得たものは確かにあった。

一つは、歴史について。今回の歴史についての語りは書籍よりも幅広く、wikiやパターンにも言及する、TDDの歴史に止まらないものであり、半ば「うっとり」しながら聴いた。学生時代に聴いた「国法学」の講義を思い出させるような、t-wadaさんの広い知識と語りの上手さが存分に発揮された上質なものだった。

もう一つ印象に残ったのは、DHHの「TDDは死んだ。テスティングよ栄えよ」によって批判されたTDDの教条主義化に関連して、t-wadaさんが自らの責任に言及したことであり、そのときのt-wadaさんの表情、声のトーンだ。別の文脈で「Uncle Bobは過激なことを言って世の中を前に進めるタイプのプロレスラー」という発言をされていたが、t-wadaさん自身がこの種の存在になることについて苦悩しているような印象をもった。

「ポジティブふりかえりマッピング

川口さんが急遽代打で開催されたワークショップ「ポジティブふりかえりマッピング」に参加した。ふりかえりをするときのフレーミングとして、プロジェクトについて他の人に「どうだった?」と聴かれたときに"It was great because..."と答えるとしたら、というものを紹介していただいたのだが、この英語の部分を川口さんがLinda Rising 風で2回実演してくださった。文化の違いの話を添えて、単なる笑いどころで終わらせないのがさすが。

また、アジャイル宣言がどのようにして生まれたのかという話を聴くことができた。集まった17人がインデックスカードに大事だと思う価値をそれぞれ書き出していったという話だ。t-wadaさんが好んでされる「Kent Beck と Eric Gamma が機内でペアプロしてJUnitができた話」と似たような面白さがある。

kawaguti.hateblo.jp

2日間を終えて

セミナーは、普段参加している勉強会とはかなり雰囲気が違っていたが、QAというあまり縁が深くない文脈の話を聴くことができてよかった。自社の開発における品質についても、人的な面と技術的な面の両方でもっと取り組めるものがあると感じた。

XP祭りは、普段参加しているイベントよりも更に一段上の熱気があり、登壇者も参加者も心から楽しんでいる場だというのが伝わってきた。ああいう場を作ることができるのは「コミュニティ」の素晴らしさなのだと思う。

そして、忘れてはならないのはスタッフの方々の献身だ。日頃から無料の勉強会にたくさん参加させてもらっている身であるから、何がしかの形でこれから自分も貢献していかねばとの思いを強くしたXP祭りだった。

エクストリームプログラミング

エクストリームプログラミング

*1:品質は、ソフトウェア開発者として、当然、自らの責任の範囲内のものだという意識を持っているが、「品質保証」は「開発者とは別の誰かの仕事」につけられた名前だという印象がある。

8月の行動履歴を雑にまとめておく

8月が終わってしまった。

このところ、どうにも抑制の効かない日々を過ごしていて、今週はブログも書けずにきてしまった。最低限のふりかえりをすることで、継続するという意気だけは示しておきたい。公私ともにやや慌ただしくなってきているので、今週は立て直しの週にしたい。

イベント参加とブログ執筆

日付 参加したイベント/執筆した記事 分類
1(水) 第20回 Scrum Masters Night! - connpass イベント
4(土) 第1回 Dockerハンズオン 初心者・中級者編 - connpass イベント
5(日) Connpass APIをLambdaから扱う〜Lambdaの非同期呼び出しによる分散処理〜 - こまどブログ ブログ
9(木) 逆境から新規事業をスタートアップする「仮説検証型アジャイル開発」の実践 - DevLOVE | Doorkeeper イベント
12(日) GitHubに草を生やして100日の節目にアウトプットをふりかえる〜ブログ・登壇・GitHub〜 - こまどブログ ブログ
17(金) 【2018年8月】ガオ流ファシリテーション基礎講座 - connpass イベント
18(土) カイゼン・ジャーニー・カンファレンス - DevLOVE | Doorkeeper イベント
19(日) 「充実とは価値観が満たされた状態である」? - こまどブログ ブログ
19(日) Scalaに入門してみることにした - こまどブログ ブログ
23(木) きょん、やっとむ、ryuzeeらと語るアジャイル開発の本質 - connpass イベント
26(日) なぜ僕は「アジャイルを!」と叫ぶのか〜「きょん、やっとむ、ryuzeeらと語るアジャイル開発の本質」に参加して - こまどブログ ブログ
26(日) 2018年8月23日「第133回白熱塾 きょん、やっとむ、ryuzeeらと語るアジャイル開発の本質」に参加した - こまどブログ ブログ
28(火) Meetup in Tokyo #44 -Agile2018 Conference 報告会- - connpass イベント

雑感

  • 勉強会参加しすぎ?
    • とはいえ得るものはその度にある
    • 人と出会える機会は代え難い
  • 「技術」が広すぎ?
    • 自分が身に付けたい技術はどのような「技術」か?
    • エンジニア組織に拘る理由はあるのだろうか?(懇親会で出会った方からの示唆)
  • 草を生やすことに拘るのを止めたらコード書かなくなってしまった
    • 業務でもコードを書かない時期が続いていて関心が薄まっている
    • 目的がないのでモチベーションが出ずに結局途絶した
    • Udemyの講座のコードがうまく動かずに止まってしまった
    • Scalaのテキストは読んでいるけど難しくてコードをバリバリ書くところまでいかない
  • 当たり前のことを粘り強くやろう
    • 人と話をすると、自分が意識的に避けている事柄の存在に気づく
  • 読みたい本がたくさんある
    • 身の入る時期にたくさん読んでおいた方がよいかも
    • 技術の勉強をするのが億劫な自分を常に感じる
  • 自分は何をしたいのか?
    • 一緒にいる人たちと楽しく過ごしたい
    • そのための手段として何を自分の武器にするか

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