こまぶろ

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「充実とは価値観が満たされた状態である」?

Twitterで関わりのある方々が複数参加しているコミュニティがある。

note.mu

「成長と充実」を研究するコミュニティということで、僕は参加していないけれど、アンケートに協力させてもらったり、参加者の方々のTwitterを通じて活動の経過を垣間見たりしている。

そうした中で、先日目に入ってきたのが、参加者の一人である、ゆのんさんの下記の投稿である。

note.mu

上の投稿で紹介されているワークが何かしら僕にとってきっかけになるのではないかと考え、取り組んでみることにした。

「充実とは価値観が満たされた状態である」

ワークの内容は単純で、

  • 33+1個の価値*1から大切だと思う10個の価値を選ぶ
  • 10個のなかの価値を2個ずつ取り出して比較する(45通り)

というものである。そして、2番目の比較において「より大事だ」と評価された回数で、上から3個がベスト3ということとなる。僕がやってみた結果、ベスト10は、以下のような顔ぶれとなった。

  1. 高潔さ・誠実さ(正直さ、誠心誠意、真実一路)
  2. 知恵・賢さ(成熟した人生の理解)
  3. 内なる調和(心の中が苛まれていない、平安でいる)
  4. 自己への尊敬(自尊心、自分を信じる)
  5. セキュリティ(安全・安心、収入の確保)
  6. 知的な(知性、省察する)
  7. 開かれた(心の広い、良い意思伝達)
  8. 責任感(信頼・信用できる、説明責任を果たす)
  9. 自制心(継続、効果性、専門性)
  10. 論理的(首尾一貫した、合理/理性的)

ちなみに、比較をすべて終えた後で、どの価値がどの価値に対して優位だったかを調べてみると、このランキングでの位置づけと完全に整合したので、ある程度首尾一貫した比較を行うことができたのだと思う。

ワークをやってみて考えたこと

ワークの結果について、少し考えてみる。コミュニティの参加者の皆さんの回答も(把握している範囲で)下記に列挙しておく。

さて、こうして自分のワークの結果を眺め、また他の人のものと見比べてみたときに、目立つのはこれだ。

  1. 高潔さ・誠実さ(正直さ、誠心誠意、真実一路)

トップにこれが来るのは、我ながら何とも嫌な奴だと思ってしまう。もちろん、現実の自分が高潔で誠実な人間であると主張するものではないのだが、それにしてもこれを重視するということに嫌らしさを感じてしまう。嫌らしさを感じるというのは、「心の底から、本当に、そう思っているのか?」という疑念を自らが捨てきれていないということなのだろう。

「欲求に関する欲求」

と、ここまで書いてきて、思い出したことがある。それは、大学院生時代に関心を持っていた、チャールズ・テイラーの議論、更に言えば、彼が依拠しているハリー・フランクファート*2の議論である。すっかり忘れてしまっていたが、自分の考え方の一つのベースになっている議論であったので、紹介したい。

フランクファートは、人間と他の動物の違いを、「第二階の欲求(second-order desire)」を持ちうるかどうか、という点に求めている。第二階の欲求とは、「欲求についての欲求」である。「ラーメン二郎が食べたい」は第一階の欲求であり、「ラーメン二郎が食べたいという欲求は持ちたくない」は第二階の欲求である。この、第二階の欲求を持つことが、人間の自由意志を支えているのだという議論をフランクファートは展開しているらしい*3

自由と行為の哲学 (現代哲学への招待Anthology)

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  • 作者: P.F.ストローソン,ピーター・ヴァンインワーゲン,ドナルドデイヴィドソン,マイケルブラットマン,G.E.M.アンスコム,ハリー・G.フランクファート,門脇俊介,野矢茂樹,P.F. Strawson,G.E.M. Anscombe,Harry G. Frankfurt,Donald Davidson,Peter van Inwagen,Michael Bratman,法野谷俊哉,早川正祐,河島一郎,竹内聖一,三ツ野陽介,星川道人,近藤智彦,小池翔一
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この「欲求に関する欲求」というのは、僕にとっては大きな主題であるようだ。これまた、専門外ではあるのだが、マルクス・アウレリウスの『自省録』のなかに、大好きな一節がある。

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

欲望が満たされることを望むのではなく、欲望自体がなくなることを望む。そういった思想への共感・傾倒を、自らのなかに見出すことができる。

ワークの結果について改めて考える

以上のことを踏まえると、今回のワークの結果に対する見方は少し変わってくる。僕の作ったランキングには、「現に自分が従っている欲求」と、「従いたいと思っている欲求」とが混ざっているように思われる。前者の例は、「セキュリティ」や「内なる調和」であり、後者の例は、「高潔さ・誠実さ」や「責任感」である。前者ついては、それらの満たされた状態を現に求めてはいるが、求めなくてもいいと思っている。後者については、そういったものを求めるような人間でありたいという想いがある。

それでは、後者を僕は「現に求めている」のだろうか?暫定的な答えはYesだ。高潔な、誠実な人間になりたいと思うし、責任感を持って事に当たれる人間でありたい。一方で、日頃の自分自身がこれらの欲求に従えているか、言い換えれば、これらの価値を満たすような行動をとれているかというと、これはNoであり、だからこそ自らを苛むものがあるし、ランキングを見た自分は違和感を覚える。

ゆのんさんの投稿の末尾には、下記のような文章がある。

 やってみた結果はどうだろうか?自分の思っていた通りになった方もいれば、全く思ってもいなかった結果になった方もいるかもしれない。特に、後者の全く思っていなかった場合は、こんな結果は本意ではない、と思うかもしれない。ただ、もしかしたらそういう方は、自分の本当の気持ちを抑えてしまっていて、対外的な目を気にしていたり、理想の自分を強く願いすぎてしまっているのかもしれない。何が引っかかっているのか、逃げずに深く考え、自分に向き合うということが必要である。

 逆に、納得感のある結果になった場合は、じゃあその価値観を大切に出来る行動とはなんだろうか、を考えてみよう。例えば、健康が一番の価値観であれば、健康を最大化させる行動をある種無理やり取ってみる。毎日ヤクルトを飲むでもいいし、ランニングするでも良いし、30分早く寝るでも良い。そうやって、自分の価値観に沿った行動をすることで、ものごとの見方・人生の意義付けが変わる可能性がある。

充実とは価値観が満たされた状態である|ゆのん|note

当初、僕はゆのんさんの投稿と自分のワークの結果を眺めていて、「健康が大事だから運動するとかそういうんじゃなくて、もっと内面を変化させるようなことが必要なんだよなー」と考えた。「高潔さ・誠実さ」は、僕にとっては既に従っている欲求ではなく、従いたいと思っている欲求(つまり、「欲求している欲求」)だからであり、何か他の欲求があって、それに従ってしまうと当の欲求の充足が妨げられる(価値が失われてしまう)という状況に陥っている。

しかし、ゆのんさんの文章を読み直してみると、「ある種無理やり」というフレーズが挿入されていることに気付く。健康を価値として奉じている人が、健康のための行動をとれていない*4とすれば、それは自分が「高潔さ・誠実さ」について陥っている状況と同じではないか?

アジャイルな価値観の探し方

では、ゆのんさんの提案している、「ある種無理やり」ということは、どのような意味があるのだろうか。おそらくそれは、自分の価値観について行う仮説検証なのではないか。さきほど僕は、以下のように書いた。

後者を僕は「現に求めている」のだろうか?暫定的な答えはYesだ。

暫定的な答え、と書いた意図がある。ワークの結果、「高潔さ・誠実さ」がトップにきた。これは事実である。しかし、それだけだ。自分が本当に求めているものなのかはわからないし、そもそも「高潔さ・誠実さ」などというものは抽象的に過ぎる。

「本当に求めているものかわからない」、「抽象的に過ぎる」。僕らは日々このようなものに接している。そして、それに対応するためにできることの一つとして、経験主義に立脚して、小さなフィードバックサイクルを回すことが大切だと学んでいる。

暫定的な答えに従って、行動をしてみる。フィードバックを得て、自分の本当に大切にしているものを、より精緻に明らかにしようとし、またそれを満たすことのできる行動を考え直す。この過程に、充実というもののヒントがあるような気がしている。

ニコマコス倫理学(下) (古典新訳文庫)

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プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

*1:てぃーびーさんの記事によると、ロキーチの価値観に由来するもののようだ。

*2:今回、改めて調べてみて、邦訳が文庫で出ている『ウンコな議論(On Bullshit)』の著者であることを知った。

*3:この分野を専攻としていたわけではなく、フランクファートの原典を参照したこともないことを断っておく。

*4:なぜ、人は「大事だ」と思っていることのための行動をとることができず、別の欲求に負けてしまうのか?このテーマを扱っている書籍として、プラトンの『プロタゴラス』があったと思う。