こまどブログ

技術のこととか仕事のこととか。

「悪いヤツほど出世する」世界と、「良いヤツが出世する」世界(への願望)

僕にはどうやら、「立派な人でありたい」という欲求があるらしい。

以前に書いた下の記事で、自分の価値観を考えた。そこでは、「高潔さ・誠実さ(正直さ、誠心誠意、真実一路)」というものが一番上に来ていた*1。成功するよりも、立派な人でありたいと望んでいる(あるいは少なくとも、「立派な人でありたいと望んでいる自分でありたいと望んでいる」)、ということになっている。

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自分がどういう人間かは多少なりともわかっているので、ことさらに善人面するつもりはないのだが、とりあえずそういう結果が出たことは事実である。今回の記事は、その上で試みに行った思索の産物である、ということを予めご理解いただきたい。

『悪いヤツほど出世する』を読んで

さて、以上のような結果が出てしまうような自分の傾向について、考えさせられる読書体験をした。前回のブログで紹介した、『なぜ、わかっていても実行できないのか』の著者の一人であるジェフリー・フェファーの、『悪いヤツほど出世する』だ。

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悪いヤツほど出世する (日経ビジネス人文庫)

悪いヤツほど出世する (日経ビジネス人文庫)

『悪いヤツほど出世する』(原題は「Leadership BS: Fixing Workplaces and Careers One Truth at a Time」)はどんなことを語っているのか。ざっくりと要約すれば以下の通りだ。

アメリカで隆盛を極めているリーダーシップ教育産業では、謙虚、自分らしさ、誠実、信頼、思いやりといった特質が称揚される。しかし、実際の職場にはそれらを体現するリーダーは少なく、キャリア上の成功を勝ち取っているリーダーには、ナルシシズムや自己本位、嘘つきといった特質の方がむしろ多く観察される。願望で目を曇らせることなく、後者のような特質が現実において有用であることを認めることが、リーダーシップの危機との対決には不可欠である。

フェファーが以上の主張の根拠としているのは、アメリカにおける社会科学的な調査研究であり、日本に直接に適用できないものを含んでいる。その点について、フェファーは自覚的であり、下記のように日本とアメリカの文化の違いにも言及している。

日本は社員に対する文化的な規範がアメリカとは異なっており、リーダーには名誉あるふるまいが求められる。
  ー『悪いヤツほど出世する』(文庫版219頁)

とはいえ、リーダーシップ教育産業のあり方にしても、実際の職場にしても、フェファーの議論は日本でサラリーマンをしている自分にも説得的に響くものだった。

公正世界仮説の罠

フェファーが攻撃の対象としている「リーダーシップ教育産業」では、英雄的なリーダーのサクセスストーリーが提示される。そこでは、上述の通り、

  • 謙虚
  • 自分らしさ
  • 誠実
  • 信頼
  • 思いやり

といった特質が称揚される。これらの特質は、通常「いい人」あるいは「立派な人」が持っているとされるものである。サクセスストーリーは語り手の自己欺瞞によって当人の自覚すらなしに事実とは異なっている場合がある。しかしながら、受け手は根拠を問わずに受け入れようとしてしまう、とフェファーは指摘する。

こうした認知バイアスの存在が学問的にも確かめられているにもかかわらず、私たちはリーダーシップ神話を受け入れやすい。それどころか、すっかり信じ込んでまねようとする。というのもこの種の神話の筋書きは、「世の中はうまくできている」と考えたがる私たちの傾向にまさに応えてくれるものだからだ。「世界は公正であり、善は報われ悪は罰される」という世界観のことを「公正世界仮説」という。この誤謬に囚われると、「成功した人には成功するだけの理由があるのだ」ということになる。だからサクセスストーリーは無条件に支持される。そもそも私たちは信じたがっているのだし、希望を求めているのだ。事実を確かめようなどと考える人はめったにいない。
  ー『悪いヤツほど出世する』(文庫版65頁)

この心理には、僕も心当たりがある。僕は、マネジメントやチーム・ビルディングなど、人的(『ピープルウエア』の言い方では「社会学的」)な側面を扱う分野への関心が強く、よくその分野の書籍を読んだり勉強会で人の話を聴いたりしている。そして、なんとなくいい気分になる

「いい気分」の正体

こういったときの「いい気分」は、単純に新しい技術を学んだときの「いい気分」以上の何かがあると、常々思ってきた。今回考えたのは、その「いい気分」が、「立派な人であることによって上手くいく」という命題を支持する材料をもらえたことによる心地よさなのではないか、ということだ。その命題は、「自分がそうであってほしいと思う世界のあり方」に沿うものだからだ*2

例えば、「心理的安全性」が大事だという話を聴く。心理的安全性のあるチーム・組織では、各人は「人を意味なく萎縮させるような言動」を行わない。「人を意味なく萎縮させるような言動」を行わないのは、立派な人だと思う。逆に、「人を意味なく萎縮させるような言動」を行うような人はどうかと思う。否定的な評価を下すことになる*3。したがって、「心理的安全性が必要です」という話は、「立派な人であることが必要です」という僕にとっての「公正世界」に対する信念を補強するものになる。だから気持ちよく聴くことができる。

「立派な人」であることによる見返りへの期待

公正世界仮説」を巡っては、Wikipediaを見る限りでも、様々議論があるようだ。僕は心理学の徒ではないので、「人間は」と大上段に構えることは慎み、自分個人に対象を限って考えを進めてみる。自分が上に掲げたような信念を持つのは、「立派な人でありたい」という自分の意志が挫けてしまわないようにしたいからだと思う。

「立派な人」でいるのは厳しいことだ。だからこそ、僕は「立派な人でありたい」と思いながらも実際において「立派」でない言動をとってしまっている。他の様々な欲求に対して、「立派な人でありたい」という欲求を劣後させているわけだ。この葛藤状態を解消するためには、「立派な人である」ことによって他の欲求も充足されるような世界であれば都合が良い。「立派な人であることが、チームの生産性を高めます」というのは実に都合が良いというわけだ。

リーダーシップに関する本も講演もプログラムも、受け手が望むものを潤沢に与えている。知見ではなく激励を、教育ではなく楽しみを、そして絶望ではなく希望を。
  ー『悪いヤツほど出世する」(文庫版60頁)

「立派な人」は趣味である

しかし、本当に立派な人は、「立派な人である」ことに満足のできる人だ。外的な何かが得られるから立派な人であろうとするのではない。そもそも「立派な人でありたい」と思うのは、「立派な人であること」自体が快楽をもたらしてくれるからだ。「立派な振る舞い」をしたときに、物質的な見返りや誰かの感謝が得られなくても、それだけで清々しい気持ちになる。日々の生活がそのような体験に満ちていれば、どれだけ幸せだろうか、と思う。

「立派な人である」ということは、自分の良心の声に耳を傾けて生きることだと思う。「良心」というのは以前から気になっていた概念なのだが、先日、芥川龍之介箴言集を読んでいて接した以下の言葉は大きな示唆があった。

良心とは厳粛なる趣味である。
  ー芥川龍之介侏儒の言葉西方の人』(新潮文庫版13頁)

「立派な人であること」、「良心に従うこと」は、自分に幸せをもたらすものだ。それは、ある人にとっての「旅行をすること」、他の人にとっての「将棋を指すこと」と同じようなものなのではないか。つまり趣味である。「厳粛な趣味」とはよく言ったものだと感心してしまった。

趣味を仕事に結びつけること

そうだとすれば、「立派な人であることによって仕事でも成功したい」というのが、「好きなことで食っていきたい」というのとあまり変わらない、図々しい望みなのではないか、ということにもなってくる。趣味は必ずしも仕事に結びつくわけではない、というのが厳然たる事実だ。願望で捻じ曲げてはいけない。

しかしながら、「趣味は絶対に仕事に結びつかない」わけでも、「趣味を仕事に結びつけようとしてはいけない」わけでもない。プログラミングを愛してやまない人がプログラマとして身を立てることもある。野球少年がプロ野球選手になることもある。良心という趣味が仕事に結びつくことだってあり得るだろうし*4、仕事に結びつけようとする努力は誰にも否定できない*5

ただし、趣味を仕事にすることは厳しさを伴う場合もある、というのは忘れずにおきたい。元プロ野球選手の宮本慎也が引退した時に語った「プロになってから野球を楽しんだことは1度もない」という話が強烈に印象に残っている。

number.bunshun.jp

フェファーのメッセージ

邦題からは「出世したけりゃ悪いヤツになれ」という方向にも捉えられそうなこの書籍だが、フェファーは必ずしもそういうことは言っていない。もちろん、「それでも良いヤツでいろ」とも言っていない。フェファーが主張しているのは、「真実を知ることから始めよう」ということだけだ。

リーダーシップの危機に何か改善をもたらすことができるか、私には自信がない。ただし、人間の行動に関する社会科学の知見にも現実のデータにも基づかないやり方でこれ以上リーダーシップ神話を振りまき、人々をいい気分にさせるだけではうまくいかないことは、はっきりしている。人は真実に耐えられるはずだ。真実と早く向き合うほど、誰にとっても結果はよりよいものになる。そのためには誰もが、そう、リーダーだけでなくすべての人が、がんばって続けなければならない。
  『悪いヤツほど出世する』(文庫版302頁)

上では滔々と「それでも僕は良いヤツでいたい」と語ってみたが、あくまで思索でしかない。これからどう生きていくのかは、まだまだ決めかねている。簡単に答えが出るようなものではなく、一生探り続けていくものなのだと思う。これからどのような生き方をしていくにせよ、願望で現実を歪めるようなことだけはしないでおきたい。

ピープルウエア 第3版

ピープルウエア 第3版

侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

良心論―その哲学的試み

良心論―その哲学的試み

*1:これが自分が「立派な人」であるということを必ずしも意味しないということは、記事に書いた通りである。

*2:「立派な人」というのは、さしあたり個人の主観である。客観的に善悪が存在するのかどうか、その基準でここでいう「立派な人」が善なのか、という議論には今回は踏み込まないでおく。「僕が立派だと思うような人が成功する世界であってほしい」と言い換えた方が適切かもしれない。

*3:現在の自分はもしかしたら後者かもしれないけれど、前者でありたいと思っているのは本当だ。

*4:その例がサクセスストーリーになる。

*5:日本の就活業界では「やりがい」という言葉が定番だし、生産性ということを考えても、高いモチベーションを持てるような仕事に取り組むことは有利なはずだ。