"Unlearn"という言葉は、どれだけの人にとって馴染みのあるものだろうか。
僕はこの言葉に、学生時代に出会っている。教育学系の大学院にいたので、自分自身の研究テーマとは離れているものの、「学び」とは何かというような議論にも接することがあった。その中で、「Unlearn=学びほぐし」という言葉遣いがなされていたことを記憶していた。
今年になってから、この言葉に複数回接することがあり、少しこのUnlearnについて調べてみた。この記事では、この辺りの経緯と途中経過としてまとめておく。問題意識に導かれることも、学術的に網羅性を考慮して調査をしたわけではないので、あくまで覚書である。
日本のアジャイルの文脈でのUnlearnとの再会
この言葉に、直近では、11月12日にKDDI DIGITAL GATE で開催された下記のイベント*1での及部(@TAKAKING22)さんの発表でこれに接した。
今回の及部さんの発表の中でUnlearnが占めている地位は必ずしも大きくなく、及部さんがUnlearnをどのように捉えているのかは明らかではなかった。この点については、Regional Scrum Gathering Tokyo 2019 での公募セッションで及部さんご本人がUnlearnについて語るようなので、期待したい。
ソフトウェア業界の勉強会でUnlearnに出会うのはこの時が初めてではなかった。8月23日にデンソーで開催されたイベント*2における「やっとむ」こと安井力(@yattom)さんの発表でもUnlearnが「脱学習」として紹介されていた。
やっとむさんがUnlearn=脱学習について述べたのはこれが初めてではない。少し調べただけでも、下記の2017年12月のスライド資料に同じ表現がある。いつ頃から使うようになったのかはわからないが、翻訳をたくさんされているやっとむさんなので、英語の日常語として知っていたのかもしれない。この辺りはご本人に伺ってみたい。
なお、このイベントでは、後半に登壇者3名と聴衆の希望者との討論セッションがあったのだが、そこでもUnlearnについての言及があった。「形あるアジャイルの先に何があるのか?」という話題になった時に、きょん(@kyon_mm)さんが、「Unlearnの仕方がまとまることが次のプラクティスになるのではないか」と仰っていた。ここでのUnlearnは、「いま」に対して最適なものを素早く構築するためには、それまでの仕事に対して最適化された状態を抜け出す必要があるという話だったと思う。
上記のこともあり、11月12日のイベントの懇親会で、ちょうどやっとむさんを交えてお話しする機会があったので、「Unlearnってアジャイル界隈で流行りなんですかね?」と伺ってみたところ、確かによく見るというような趣旨の返事があった(と記憶している)。また、同席していた横道(@ykmc09)さんからAgile 2018でも言及されていたと教えていただいた。
そこで、調べてみたところ、アトラシアン社のDominic Price(@domprice)氏による初日基調講演のスライドに、Unlearnという表現が出てきていた。
"agile unlearn"でGoogle検索をすると、非常に多くの検索結果(引用符付き検索で60,000件)が得られる。各国のアジャイルのカンファレンスのスライド資料も複数ヒットした。後述のように、Unlearnというのは専門用語ではない通常の英単語なので、この数が出てくることは不思議ではないのだが、Unlearnという言葉がアジャイルに無縁な言葉でないことは確かだろう。
野中郁次郎と竹内弘高におけるUnlearn
Unlearnという言葉を、別の、しかしアジャイルにとってはとても身近な文脈にも見出すことができた。それは、「スクラムの父」である野中郁次郎の文献だ。
野中郁次郎と竹内弘高の『知識創造企業』の索引にもUnlearn(ing)が「学習棄却」という訳語とともに現れている。以下に、言及のある箇所を示す。
組織進化論の発見の一つに、「適応は適応能力を締め出す(Adaptation precludes adaptability.)」というのがある。過去の成功への過剰適応(overadaptation)だといってもよい。恐龍がその一例である。太古の一時期、この生き物は、生理的にも形態的にもある一定の環境に適合していた。しかし、その環境に適応しすぎて、ついには気候とエサとなるものの変化についていくことができなかった。日本軍は同じ罠に陥ったのである。過去の成功に過剰適応して、変わりつつある新しい環境の中でそれらの成功要因を「学習棄却(unlearn)」することに失敗したのである。(『知識創造企業』248頁)
この箇所では、日本軍の失敗がUnlearnの失敗であったと指摘されている。また、他の箇所では、『学習する組織』のピーター・センゲの組織学習の理論が、"「ダブル・ループ学習」すなわち「学習棄却(アンラーニング)」(Hedberg, 1981)というコンセプトと組織開発(Organizational Development)への強い志向に関係"*3する欠点によって批判されている*4。
この書籍には、他にも目を引くものがある。それは、参考文献一覧に掲げられている、"Imai, K. , I. Nonaka , and H. Takeuchi. 1985 "Managing the New Product Development Process: How Japanese Companies Learn and Unlearn と題する論文だ。興味深いのは、この論文を引用している116頁で、この論文を用いて下記の図を説明していることだ。
この図の出典は"Takeuchi and Nonaka (1986)"、すなわちスクラムの原典とされる"The New New Product Development Games"だ。時系列的には、上述の論文はこのスクラムの原典の前の年に書かれているわけだが、内容上の繋がりがあるようだ。野中郁次郎の著作はじっくり読んだことがないので、これから掘り下げてみたいと思う。
鶴見俊輔の「まなびほぐし」
Unlearnという言葉は、大学院時代の僕の近辺では「学びほぐし」と訳されていた。いい訳ですよね、という話を懇親会ではしていたのだが、調べてみたところこの訳を提案したのは哲学者の鶴見俊輔であるというのが有力である。
鶴見がUnlearnという言葉を初めて知ったのはハーヴァード大の学生だった時代にヘレン・ケラーと会ったときで、その時に"型どおりにセーターをあみ、ほどいて元の毛糸にもどして自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像され"*5、"日本語になおせば「学びほぐす」ということになる"*6と語っている。
この「学びほぐし」を主題にしているシリーズ『ワークショップと学び』(東京大学出版会)が刊行されている。今回、その第一巻(全三巻)である『まなびを学ぶ』を手に取ることができた。第1章で、佐伯胖は以下のように指摘している。
「まなびほぐし(アンラーン unlearn)」というのは、「まなび(learn)」のやり直しである。しかし、「やり直し」と言っても、これまで学んできた知識や技能を「帳消しにする」などということができるわけはない。「一たす一は二である」という知識を、あえて「なかったことにする」わけにはいかない。ここはやはり、これまでの「まなび」。通して身に付けてしまっている「型」としての「まなびの身体技法(まなび方)」について、それをあらためて問い直し、「解体」して、組み替えるということを意味しているのであろう。(『まなびを学ぶ』62頁)
「解体」の動機は、高木光太郎の下記の論述にも存在する。「学びほぐし」とは、学習したことを単に忘れるのでも、新たな知識を学習するのでもない。長くなるが引用する。
まずまなびをゴールとの関係からではなく、不確定の未来に向かう変化のプロセスとして捉える必要がある。「まなびほぐし」は「自分の体に合わせたセーター」を手に入れることを目的としているわけではない。そうであるなら新品の毛糸を用意し、自分の体型にぴったりの型紙を使ってセーターを編み上げたほうが効率的である。ゴールを明確に意識し、まっさらな状態からスタートして自分に必要な知識や技術を段取りよく獲得していく。オーソドックスな学習論である。これに対して「まなびほぐし」の学習論は、一旦編み上げられた知が解体されつつ、不安定に揺らぎながら何か新しいものへと変化していく過程そのものに焦点をあわせる。揺らぐ現在から、少しずつ未来の姿が浮かび上がってくるプロセスをまなびとして捉えようとするのである。どこかで誰かによってあらかじめ定められた未来に向かうのではなく、まだ姿がよく見えない未来の時間を「いまここ」で生成する。これが「まなびなおし」の学習論におけるまなびの基本的な姿である。
それゆえ「まなびほぐし」の学習論は、まなびの現場で生まれる「混乱」「戸惑い」「躊躇」「食い違い」「対立」といった「揺らぎ」に肯定的な可能性を見出そうとする。「まなびほぐし」のプロセスにおいて、既存の知が解体されて生じる不安定状態はまなびの阻害要因ではない。それはむしろ未来の時間が創造される生成の場である。(『まなびを学ぶ』24頁。強調は引用者。)
ここで語られている、「揺らぎ」への肯定的な評価は、先に紹介した野中・竹内の『知識創造企業』で「知識創造を促進する第三の組織的要件」として指摘されている「組織と外部環境との相互作用を刺激するゆらぎ(fluctuation)と創造的なカオス(creative chaos)」と文言上は符合する*7。現時点で強い主張をするつもりはないが、掘ってみても面白いであろうと感じたので書き留めておきたい。
また、古めの文献として、川本隆史「才能のプーリング・自己所有権・ケイパビリティ-「基礎学力」概念の《編み直し》のために 」(2005)を見つけることができた。ここでは、ウォーラーステインが著書のタイトルに用いた"Unthinking"と並べてUnlearnに言及されている。《編み直し》というのは川本がウォーラーステインの"Unthinking"を解釈した語で、以下のように説明が加えられている。
Unthinkという動詞は、シェイクスピアにも用例のある由緒あるものだそうで、unは「否定」ではなくて「戻す」とか「振りほどく」という反復行為を表す接頭語です。
このUnthinkを巡っては、川本が引用しているように鶴見俊輔の論文「Unthinkをめぐって -日米比較精神史」(『リベラリズムの苦悶-イマニュエル・ウォーラーステイン が語る混沌の未来』所収)がある。出版年が1994年と古いが、川本の記述によればこの論文でも鶴見はUnlearnに言及しているようである。この本も図書館で利用できることがわかったので、近日中に目を通してみたいと思う。
一般的な英単語としてのUnlearn
調べてみてわかったのは、Unlearnという言葉自体は、西洋においては普通に用いられる言葉であるらしいということだ。Web上の英語の辞書でも、複数のものにそのままズバリの単語が収録されている。
また、スターウォーズの『帝国の逆襲』におけるヨーダのセリフでも用いられている。沼の中の戦闘機をフォースで持ち上げようとするルークが、戦闘機は小石と違って大きすぎると言い訳をする。それに対してヨーダが言うのが下記のセリフだ。
No! No different! Only different in your mind. You must unlearn what you have learned.
このセリフについては、このまとめに記載されていた以下のTweetで知った。このシーンを見たことはあったが、特に印象に残っていなかった(英語リスニング力・・・)。
You must unlearn what you have learned. とは、有名な映画の有名な登場人物のセリフです。ご存知でしょうか?
— 高広伯彦 (@mediologic) 2014年6月17日
終わりに
以上、極めて雑多ではあるものの、数日でUnlearnについて調べたことを書いておいた。文献を読み込むには至っておらず、文言上の符合を見つけて喜んでいるに過ぎないが、アカデミズムの世界に生きている訳ではないので、とりあえず公開しておく。時間がある時にまた掘ってみたいと思う。
【以下、公開後の追記】
公開後に、KIDANI Akito(@kdnakt) さんから、以前「アンラーニング」について書いたという記事を教えていただいた。
上の記事で、中原淳が「学習棄却」という言葉を用いている。どうやら、ヘドバーグ(『知識創造企業』に出てきているHedberg)の「アンラーニング理論」というものがあって、そちらの分野では「学習棄却」が定訳になっているらしい。ビジネスパーソン向けのWebサイトにも以下のように紹介されている。
アンラーニングを常にしていくしかない。アンラーニングは組織学習の研究者であるヘドバーグにより提唱されたものだ。
つまり、以下のようなことが言えるのではないか。Unlearnには、(ダブルループ学習のアージリス=ショーンもその代表者であるところの)組織学習の分野でヘドバーグが主張した「アンラーニング理論」の文脈で用いられる「学習棄却」と、ヘレン・ケラーの日常語から鶴見俊輔が持ち帰り、教育学の分野で用いられる「学びほぐし」の少なくとも二つの系統があるということだ。
掘れば掘るほど面白そうだ。
野中=竹内が引用している「アンラーニング(学習棄却)」はヘドバーグの「アンラーニング理論」の話で、ダブル・ループ学習のアージリス=ショーンと近い文脈。ヘレン・ケラーの使った日常語を鶴見俊輔が訳し、日本の教育学が扱っている「アンラーニング(学びほぐし)」とは別の系統ということか。
— こま (@koma_koma_d) 2018年11月18日
参考文献

- 作者:京都精華大学出版会
- 発売日: 1994/11/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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*1:MezRyuKa(@MzRyuKa)さんによる イベントレポートがある。
*3:『知識創造企業』66頁。
*4:「ダブル・ループ学習すなわちアンラーニング」も、追いかけがいがある。ダブル・ループ学習を提唱したのはアージリスとショーンであり、ショーンはデューイの研究者である。そして鶴見俊輔もまた、デューイの研究で知られている。
*5:鶴見俊輔「対談の後考えたーー臨床で末期医療見つめ直す」『朝日新聞』2006年12月27日付朝刊。苅宿俊文・佐伯胖・高木光太郎編『まなびを学ぶ』62頁より孫引き。
*6:『KAWADE 道の手帖 鶴見俊輔 いつも新しい思想家』20頁、中井久夫との対談での発言より。
*7:『知識創造企業』116頁。