こまどブログ

技術のこととか仕事のこととか。

後追いじゃない「成長」が欲しい

この記事は、#セイチョウ・ジャーニー Advent Calendar 9日目の記事です。

前日の記事は、べこ(@becolomochi)さんの「仕事を通して成長について考えてみた」でした。

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「成長とは習慣の改善である」?

2018年10月8日に開催された「技術書典5」において、「Growthfaction」というサークルから『セイチョウ・ジャーニー』が頒布された。

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僕はこのサークルのメンバーではないが、知人が複数関わっていることから、「付録A みんなのセイチョウ・ジャーニー」に寄稿をさせていただいた。指定のテーマである「あなたにとっての成長とは」という問いに対して、下記のように書いた。

悪い習慣を捨てて、良い習慣を身に付けること。そして、身に付けた良い習慣をより優れた習慣にすることです*1

寄稿をしてから、このテーマについては折に触れて再考する機会があった。その過程で、なぜ上記のような内容で寄稿をしたのかを顧みることにもなったので、(寄稿した文章より長いが)補遺としてまとめておきたい。

先に全体の趣旨を述べておくと。習慣という言葉を使ったのは、成長というものを、時代の流れ、状況の変化に翻弄されるようなものとは切り離して考えたかったからだ。僕は、1年、3年もすれば消費期限が切れてしまうようなスキルを身に付けることを、成長とは捉えていない。成長というのは、もっと持続的で連続的なものだと思っている。そうでなければ、成長するというのは外界への反応でしかなくなってしまう。そうではない成長のあり方として、習慣というものを掲げたのだ。

「後追いの成長」の辛さ

よく、「エンジニアは技術を学び続けなければいけなくて辛いからマネージャーに……」という言葉が批判される。これ自体は藁人形論法のようにも思えるのだが、エンジニアが技術にキャッチアップすることが不可欠な職種であり、それを苦しく思う人がいるのは恐らく事実だ。上の発言をする人が苦しんでいるのは、技術が日進月歩であり、常にそれにキャッチアップしていかなければ、仕事ができなくなってしまうという切迫感があるからだろう。

もちろん、マネージャーも学び続けなければならない。マネージャーが扱う個々の人、組織はそれぞれに固有のものを持っており、誰一人(どれひとつ)として同じものはない。過去に上手くいった対応方法を他の場面に適用するだけで全てが解決するような仕事ではない。

しかし一方で、人や組織の固有性は、常に新しいものが生まれてきているというよりは、いくつかの山の存在する分布のなかでのバリエーションというイメージが近い。だから、当然全ての人や組織に当てはまる解決策を完璧に身につけることはできないのだけれども、ある程度の典型例への対応方法を身につけ、そこからの「ずれ」へのアジャストをより精緻に行なえるように状況の認識力と対応の引き出しを増やしていくというアプローチが取れそうだ。

人や組織に対応する仕事の場合は、それまでに身につけていたものが全く適用できなくなるような地殻変動はあまりイメージできない。もちろん人のライフスタイルや組織のあり方、社会通念の変化で時代遅れとなる方法は存在するが、人間という生き物のあり方はそうそう大きく変わるものではないから、人間についての知見の消費期限は短くない。

これに対して、新たな人工物が生まれるスピードは速い。技術は日進月歩だ。ある日突然ではないにせよ、じわりじわりと世界が変わっていき、数年の間で全くゲームのルールが変わってしまうというのはありうる事象だろう。だから、新しいものについていかないといけないように感じる。未来の技術をあらかじめ学んでおくことはできないから、学びは常に後追い的なものになる。その学びに持続性はない。技術者としての学びは、変わりゆく状況にその都度対応するものになる。それは成長と言えるのだろうか。

未来の自分に何を渡せるか

未来の自分の代わりに未来の技術を学ぶことはできない。未来の自分が時代の変化についていってくれるかどうかはわからない。では、「未来の自分のために何ができるか」を問えばよいのか。未来の自分のために現在の自分が何かをしてあげるという発想もそれはそれで辛い。とはいえ、未来なんて知ったことはないと開き直れるの人はそもそも悩まない。

現在の自分にできるのは、未来の自分が新しいことを学ぶための素地を整えておくことだけだ。それは一段階、メタなレベルの能力ということになる。メタというのは、学ぶための学び、スキルのためのスキル、能力のための能力ということだ。素地の整え方としては、比較的消費期限の長い知識を身につけておくことがひとつ考えられる。

エンジニアであれば、基盤となるような技術について学んでおくことは有意義だろう。変化の激しいと言われるWeb(特にフロント)技術とはいえ、結局はTCP/IPの枠組みの中での変動ですよね、という話を知人としたことがあったし、NoSQLがSQLやリレーショナルデータベースを駆逐したわけでもない(そもそもNoSQLは"Not Only SQL"だとよく指摘されている)。あるいは、設計や開発手法などの抽象化された事柄を学ぶのも役立つだろう。

やや脱線するが、自分が好んで学ぶのはこういった部分だ。あまり意識したことはなかったが、「すぐに消費期限が切れそうなものは学びたくない」という心理が働いていたかもしれない。「オブジェクト指向」や「パターン」といった抽象的なものを学ぶことはもちろん無駄にはならないだろうし、上手く学べば優れた戦略となるだろう。戒めなければならないのは、現在すでに存在している具体的なものの学習から逃げるための方便として使ってはならないということだ。必要なら具体的なものを学ばなければならないし、新しい言語やツールを学ぶことは大切だ。それは次に述べることにも関連している。

後追いにならない成長としての「習慣の改善」

未来の自分に渡せるものは知識だけではない。ここで「習慣」というものが出てくる。習慣は定義上、持続性のあるものだ。基礎的な知識もまた忘却を免れないのに対して、習慣はそれが習慣である限り持続する。習慣を通じて自己のうちに一貫性を見出すことができるし、一貫性を見出すことでその改善という連続的な進歩を感じることもできる。

良い習慣を身につけ、それを維持・改善するのは、現在の自分が未来の自分のためにできることだ。そして、未来の自分はその良い習慣を受け取り、そこから果実を得ながら更に習慣を改善することができる。習慣化することによって行動にかかる労力は低下するから、さらに優れた、本来であれば多くの労力を必要とする行動にも出やすくなる。

「新しい技術を学ぶ」ということの意義も、習慣ということを考えるとより大きく評価できる。現在において新しい技術を学ぶことは、その技術についての知識や、学ぶ過程で得られる周辺知識を与えてくれるだけでない。もし、そこで学んだ技術を実際の業務などに活かすことができず、使わないままに忘れてしまったとしても、新しい技術を学ぶ習慣さえ身につけていれば、学びは(歩どまり率は悪くても)蓄積されていくし、未来の自分が新しい技術を学ぶことを楽にしてくれる。

また、良い習慣に基づいて行われる思考や行動は、現在の自己に与えられた課題に対する応答としても優れているものでありうる。ここで念頭に置いているのは、ものごとの受け止め方や、コードの書き方などだ。人に何か否定的なことを言われたときに反射的に感情で応じるのではなく一旦飲み込むとか、コードを書くときに保守する人間のことを考えるとか、そういった行動は、現在において役に立つものである。こういった思考・行動を習慣化することができれば、「未来のために現在を消費する」というだけでなく、現在をより良く過ごすことにも繋がる。

まとめに代えて

以上、「成長は習慣の改善である」という定式化の背景を成す考えを示してみた。まとめに代えて、この記事のテーマと密接に関わる二冊の本を紹介して終えることとする。

このような発想に立ったときに、どのような習慣を身につけば良いかということについては、『七つの習慣』がやはり最も著名で手に取りやすい教材となる。帯に著名人の名前がずらりと並んでいるなど、売られ方が実に「自己啓発本」らしくて鼻につくのだが、中身はさすがに優れている。P/PCバランスや「重要だが緊急ではないこと」、「Win-Win or No Deal」といったシンプルだが有用なアイデアも多く得ることができる。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

また、現代人の、とりわけ職業人にとってそのまま役立つかどうかはわからないが、考え方の枠組み、議論の進め方のお手本としては、古典中の古典であり、『七つの習慣』の思想的源流の一つであるアリストテレス『ニコマコス倫理学』を挙げておきたい。古代ギリシア哲学というとハードルが高いように思うかもしれないが、幸福と徳、それと習慣との関係が卑近な例も用いられながら議論されている。複数の訳本が存在するが、下に掲げた光文社古典新訳文庫の訳は新しいこともあり平易で読みやすく、訳注や解説も充実しているのでおすすめだ。

ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫)

ニコマコス倫理学(上) (光文社古典新訳文庫)

明日の記事は、このすみ(@konosumi)さんです*2

www.konosumi.net

*1:『セイチョウ・ジャーニー』93ページ。

*2:公開されたのでリンクを貼った。