こまどブログ

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6/26 「カイゼン・ジャーニー・ライトニングトークス」で初LT登壇した

本日、「カイゼン・ジャーニー・ライトニングトークス」というイベントに参加してきました。勉強会には足繁く参加している僕ですが、今回が初めてのLTとなりました。

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カイゼン・ジャーニー』

イベントの内容は、書籍『カイゼン・ジャーニー』にまつわる内容のLT大会です。この書籍は僕の背中を強く押してくれた本なので、「『カイゼン・ジャーニー』に背中を押されて行動したよ」という話であればそこまで悩むことなくできたと思います。ですが、せっかくの機会に書籍の礼賛をして終わっても勿体無いですし、その手の話をしても「良かったね」という感想しか持ち帰ってもらえないと考え、最近よく考えていることとカイゼン・ジャーニーを結びつけてお話しすることにしました。

発表資料

忘れられがちな気がする「文字言語」の重要性

今回のLTでは、「文字言語」の重要性についてお話ししました。これは、自分がここ数ヶ月、社内でアイデアの導入のために試行錯誤をしている中で、「明確に人に考えを伝えることに失敗しているな」と感じたところから出発しています。

長い文章を書くということは、エンジニアの世界ではあまり重要視されないというか、そもそも業務として少ないと感じています。文章らしい文章が書かれるとすれば、障害報告書くらいでしょうか(書いたことありません)。エンジニアにとって身近なのは、やはり顔を合わせての口頭での会話や、Slackなどでのライトなコミュニケーションなのだと思います。

もちろん、面と向かってのコミュニケーションでよく伝わることもあると思います。不安や感謝といった感情に関わるものは、かっちりとした文章よりもそのようなコミュニケーション方法によってこそ伝わるものでしょう。そして、それは行動によって裏付けられ、人を巻き込んでいくものです。

しかしながら、明晰な言語で論理的に綴られた文章は、自分の考えを伝えるためには、依然として極めて強力なツールなのではないか、と思っています。自分が認識している現状や、ある行動の根拠を精密に伝えようとすれば、それが複雑であればあるほど、言葉を尽くして説明する必要があります。それができるのはやはり、文字言語による文章である。それが発表の趣旨でした。

カイゼン・ジャーニー』と「アジャイルマニフェスト

僕はこの話をしようと思ったとき、当初は『カイゼン・ジャーニー』とは違う方向に行きそうだなと思いました。なぜなら、『カイゼン・ジャーニー』は行動を重んじる書籍だと思っていたからです。

カイゼン・ジャーニー』は、モヤモヤを持ちながらも燻っている人の背中を押してくれる書籍です。石神の「あなたは何をしている人なんですか」という問いは、多くの読者に強く響いたのではないでしょうか。「文句ばかり言っていないで行動を起こすことが重要だ!」というメッセージを受け取った僕は、考えたことを行動に移してきました。

しかし、僕はおそらく カイゼン・ジャーニー』を誤読していた のだと、今は思っています。なぜなら、あの書籍には文字言語による「見える化」を利用するプラクティスも多く含まれていたからです。長大な文章を書こうという話は出てきませんが、そもそもあの書籍自体が文章です。物語は明晰さとは縁がないように思われるかもしれませんが、江島の目の前に横たわっていた現実の描写や、プラクティスの解説の存在によって、あの書籍は単に情緒に訴えるだけのものに留まっていないと思います。

確かに『カイゼン・ジャーニー』は、情動に訴えかけて行動を促す要素のある、行動を重んじる書籍だと思います。しかしそのことは、あの書籍が 言語を軽んじるものであることを意味しません。 それは、「アジャイルマニフェスト」がドキュメントや計画の価値を貶めているわけではないのと同じなのです。

文章を書いていくという所信表明

本来であれば、自分が実践していることを発表すべきところなのですが、正直に申し上げて、僕はまだ自分の考えを正しく伝えるような文章を書けていません。そしてそれは、文章になっていないだけではなく、まだ思考の上でも曖昧なままなのです。

もちろん職場に直結するような内容は、ブログに書けることではありません。ですが、それは文章を書かない理由にはなりません。僕が取り組もうとしている切実な課題がそこにあるのであれば、公開できるできないに関わらず僕は書くべきなのだと思います。

数ヶ月後、数年後、僕にとって記念すべき初めてのLTとなったこの発表をふりかえって、「あのときの自分は間違っていなかった」と思えるかどうか。それは予想できません。ただわかるのは、「書いてみなければ答えはいつまでも得られない」ということです。こればかりは、 書くということを実際に行動に移して初めてわかる ことです。

最後の最後で、行動と言語の二項対立が崩れてしまいました。明晰さの欠片もありませんね。このような文章を書かないよう、みなさんもこれから言語を鍛えていきましょう。

末筆ながら、主催者のお二人、参加者のみなさま、ありがとうございました。

カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで

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